憐みのうちに

 愛する仲間たちを罵倒する者へ

リトル・大ヤコボことロンジン・マリーが話をする。

あなたたちは一体何をしようとしているのか?
何をしでかしてくれているのか?

 あなたたちは、罪ある者も罪なき者も裁いている。
あなたたちは人を裁けるのか。人を裁けるほど善良か。自分を犠牲にしてまでの愛はあるのか。
一体何様のつもりだ。

 神ちゃまだけがこの世に生きる人を大きな大きな愛でたくさんの良いものを贈ってくれた。
苦しんでいる人たちを救うために、天国へ呼ぶために、預言者であるリトル・ぺブルを通して、特に日本人に対し指導司祭であるジャン・マリー神父を通して、幻視者リトル・マグダレーナを通して、神ちゃまからたくさんのメッセージを伝えてきた、読んだことがあるか。

 罪なきひとを信じずに嘘の多いネットを信じ、メディアを信じ、公安を支持し、何が正しいかをろくに調べもせず、探りもせず、周りの状況だけを見て、判断をしている。

 あなたたちは私たちと面と向かって話をしたことがあるか。
聞きもしないのに勝手に判断をする、面と向かうのが怖いのか。
非難する人たちは顔も見せず、正体も明かさず、堂々と世間に出て戦わない、こそこそして卑怯な人
ばかり、罪もない人をあざ笑い、ネットで嘘を伝え広め、電話で口汚くののしり、最悪は殺人予告、「死ね」とまで言い、一方的に言うだけ言って切り、それを楽しみにさえしている。

 自分の言った言葉に酔いしれ美化し、賛同、称賛されたいのか。

 正義に立ち返れ、人や物、自分の発狂を盾にするな。
冷静に話ができないのは恐れているからだ。動物の威嚇と同じだ。

 日本人はそんな人種ではない。愛はないのか。
日本人は世界から称賛されている、キリスト殉教者がたくさん出た迫害時代、神ちゃまを信じ、自分を犠牲にしてまで隣人を愛する、病んでいる人を憐れみ、堂々と信仰を貫いた。

 正義を前面に語り、軽蔑、罵倒しておきながら、
「この罪深い人たちが救われるように祈ってください」とぬけぬけという。
祈る前に私たちに直接会い話を聞き、理解することができないのか。

 名誉、地位、財産、物質などを愛し、こんなものをいくら持っていても、死んでしまえば何の役もたたないのに。わからないか。
 それらを残して、子につないでも無駄。親の愛よりも、譲られた富だけがその子を支配する。残念だ。

 人が生きるのはほんのわずかな時だけだ、死んだら体は腐り、悪臭を放ち火に焼かれ灰になるだけだ。
 だが覚えておきなさい。あなたの霊魂は不滅で死んだあと、神ちゃまの前に立たされる。
そこで何が行われるか、わかるか。

 神ちゃまは、非難、罵倒、あざけりをもって聞く耳を持たない者は罰を与えると言っている。
人を裁くことのできるのは神ちゃまだけだ。

 いかにも自分だけは正しく、憐れみ深いのは自分しかいないと、正義を看板にして自負する。
あー、そんなことは勘違いだ。
 神ちゃまに赦しを乞いなさい。
厳しい言葉には愛がある、だれ一人地獄には行かせたくないから、理解しなさい。
天国へ行ける道はここしかない。
理解できなければ、信じることを覚えなさい。