なぜ、信じないの?なぜ、裁くの?

リトル大ヤコボ、ロンジン・マリー(同性愛者)です。

 人は、何故、神ちゃまを信じない。
悪いものを信じ、良いものを信じない、見えないものを信じない、
見えないのではなく、見たくない。
見えないからと言って、存在していないわけではない。
扉の向こう、壁の向こう側には、愛する者がいる、無視できるか?
目を閉じたら自分しか見えないのか、自分すら見えないのに。

 人は何故、神ちゃまの愛を伝えないのか。
神ちゃまの事を知ろうとしないから、愛は伝わらない。

 人は、何故、この世で生かされているのか。
人に必要なものを、全て与えてくれた神ちゃまにありがとうというために、生かされている。

 人は何故、自分より劣るものを見下すのか。
自分を見下されないために必要のない努力をし、権力を持つ。

 人は何故、差別をするのか
自分だけが全て、身も心も美しいと思い込んでいる。

 人は何故、批判するのか。
批判されることを心底恐怖に感じている。批判されないためにさらなる批判を返す。

 人は何故、許さないのか
自分を正義とする勘違いをしている。人を人と思わない、自分だけが正義だから。
この世に生きる者の中に正義があるのか? 世の中をよく見なさい。
正義を盾に働いている人たちも、罪を犯す、誘いに弱い人間である。愛を思い出しなさい。
何が正しいか、よくよく考えなさい。

 人は何故、そんなに悪くなったのか
人より一番上に又神よりも。
 
 人は何故、今、世の中が平和でないことに気が付かないのか。
足元の欲だけを満たしている。平和、平和と暗示をかけている。
本当の平和は、神ちゃまのいる天国。

 神ちゃまは、人に良いものだけしか与えない。何が人に必要かを全て知っている。
だから、これから起こることを教えてくれているのに信じない。
神ちゃまは、愛すること、忍耐すること、喜んで自分を捧げることを
自ら十字架にかかることで教えられた、また、預言者を通して、使徒を通しても教えられた。

 死にたいのに死ねない苦しみが起こってくるのに、楽しみだけで生きている人々。
事が起きれば、自分には非がなく、隣人のせい、国のせい、神のせいにする。

 好き勝手に、したいことをしている、その時(神ちゃまの前に立つこと)になって、
神ちゃまにゴマをすっても、全てはお見通し、どう自分を、弁護しても、赦されない。
自分で自分自身を神ちゃまに訴えない限り、赦しを乞う事が出来ない。
悪行をしたことを悟れ。悪魔のささやくを聞くな。

 悪魔の言う事、行う事をよく見なさい。
人に快い餌を与え、快いもので人を魅了し、知らないうちに地獄行の契約を交わす。
快いものはこの世にあふれている、警戒しなさい。
心地よいことを語って、知らぬうちに地獄行の切符を渡される。

 神ちゃまは何時も手を差し延べている、その手をはねのけないように。
神ちゃまは良いことを伝えるためにいつの時代でも預言者を送っている。
預言者の言葉を信じなさい。快いものより、自分を犠牲にする愛の言葉を信じなさい。
神ちゃまは皆のために、本当の平和が訪れさせるために、神ちゃは再び、
イエズスの使徒を使わされた。
ジャン・マリー神父を信じ、信頼し着いて来なさい。

メッセージ
「何か聞きたいことがある時は、ぼくたちの長であるジャン・マリー神父に、
耳が聞こえないわけではないのであれば、電話をしてください。
指導司祭であるので、そのジャン・マリー神父に話をしてください。

 セックスをしたいという目的であるのならば、それは出来ません。
フリーセックスなどという言葉を使っているブログやツイッターは、
他の人が好きなように書いているだけです。そういう事はありません。

 ジャン・マリー神父を信頼できるかどうかから始まります。
どこのブログや書き込みを見たのかは知りませんが、今の状況では、
あなたは僕たちのことをあまりにも知らなすぎで、実状を知る事が必要だと思います。

 同性愛者に会いたいだけという目的だとしても、そうじゃなくても、
まずはジャン・マリー神父に話をしてください。

 入会という形式は何もありません。
ジャン・マリーを信頼できるかどうかです。
何を信じていてもかまいませんが、過酷な現実が待っている事だけは事実です。

仕事等、住まいも、すべて自分で持続させなくてはいけません。
どこかに住めるということも、やしなってもらえることもありません。

 宗教は、どんな宗教を信じていてもかまいません。
でも、ローマ・カトリックの私的啓示(内的な語りかけ)を、
ジャン・マリー神父を通じて信じる事が必要です。
 
 私的啓示を受ける人は、巫子(みこ)ではありません。
自分の中に入り込ませて話すことや、乗っ取られて話すこととは違います。
霊能力者とは違って、その人の能力がどうかという事には関係ないです。
リトル・ぺブルさんのことを第一に信じるかどうかです。

 ジャン・マリー神父は、リトル・ぺブルさんを信じています。
そして、僕たちもリトル・ぺブルさんを信じています。

 品行方正を理想とするならば、ここに来るのは間違いです。
普通の宗教団体やクリスチャンから、ひどい事を言われるのが僕たちのところです。
常識では考えられない行動をする。批判され続けるところです。
いい人と言われたいのならば、ここにとどまることは出来ません。

 馬鹿げていると思ったり、ふざけていると感じるのならば、
ジャン・マリー神父を信頼することは出来ません。

 よく考えてみてください。
僕たちは、命がけで信じ続けているのです。
それでも、話を聞きたいのであれば、ジャン・マリー神父に電話をかけてください。
メールではなく、電話をしてください。
[2017年9月18日 ペトロにーちゃんのご出現]