憶えておきたい祈り

憶えておきたい祈り

どなたでもどんなときでも使えます。


「アッバおとうちゃん」の祈り

「アッバおとうちゃん、ニコニコニコ大好き! 
ごめんなちゃい。こんなぼく(わたし)だからこそ、
超愛してくれるもんね。ゆるしてくれるもんね。
救ってくれるもんね。あなたといっしょに永遠にいたい!」



十字のしるし
 聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊(せいれい)との御名によりて。アーメン。

主祷文(しゅとうぶん)
 天にましますわれらの父よ、 願わくは御名(みな)の尊(とおと)まれんことを、 御国(みくに)の来(きた)らんことを、 御旨(みむね)の天に行わるる如(ごと)く地にも行われんことを。 われらの日用(にちよう)の糧(かて)を、 今日(こんにち)われらに与え給(たま)え。 われらが人に赦(ゆる)す如(ごと)く、われらの罪を赦(ゆる)し給え。 われらが誘惑(ゆうわく)に陥(おちい)るがままになし給わず、われらをすべての悪(あく)より救い給え。アーメン。

天使祝詞(てんししゅくし)
 めでたし、聖寵(せいちょう)充(み)ち満(み)てるマリア、 主(しゅ)御身(おんみ)と共(とも)にまします。 御身は女のうちにて祝(しゅく)せられ、 御胎内(ごたいない)の御子(おんこ)イエズスも祝せられ給う。 天主(てんしゅ)の御母(おんはは)聖マリア、 罪人(つみびと)なるわれらのために、 今も臨終(りんじゅう)のときも祈り給え。アーメン。

栄唱(えいしょう)
 願わくは、聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊(せいれい)とに栄(さか)えあらんことを。 始めにありし如(ごと)く、 今もいつも世々(よよ)にいたるまで。アーメン。

使徒信経(しとしんきょう)
 われは、天地の創造主(そうぞうしゅ)、全能の父なる天主を信じ、また その御独(おんひと)り子(ご)、われらの主イエズス・キリスト、すなわち、 聖霊(せいれい)によりて宿(やど)り、童貞(どうてい)マリアより生まれ、 ポンシオ・ピラトの管下(かんか)にて苦しみを受け、十字架に付けられ、 死して葬(ほうむ)られ、古聖所(こせいしょ)に降(くだ)りて 三日目に死者のうちよりよみがえり、天に昇(のぼ)りて全能の父なる天主の右に座(ざ)し、 かしこより生ける人と死せる人とを裁(さば)かんために 来り給う主を信じ奉(たてまつ)る。 ▲われは聖霊、聖なる公教会(こうきょうかい)、諸聖人(しょせいじん)の通効(つうこう)、罪のゆるし、 肉身(にくしん)のよみがえり、終りなき命を信じ奉る。アーメン。

 

誘いや悪しきものを感じたとき、

大天使聖ミカエルの祈り 
「大天使聖ミカエル、戦いにおいて我らを護(まも)り、悪魔の凶悪なる謀計(はかりごと)に勝たしめ給え。
天主が彼を罰し給わんことを伏して願い奉る。
ああ天軍の総帥(そうすい)、霊魂をそこなわんとて、この世を俳徊するサタン及びその他の悪魔を、天主の御力によりて地獄に閉じ込め給え。アーメン。」

 
「至聖なるイエズスの聖心よ、我らをあわれみ給え。」

サルベ・レジナ
 「元后、あわれみ深き御母、我らの命、慰め、及び望みなるマリア、我らちくたくの身なるエワの子なれば、御身に向かいて呼ばわり、この涙の谷に泣き叫びて、ひたすら仰ぎ望み奉る。
ああ我らの代願者よ、あわれみの御眼(おんまなこ)もてわれらを顧(かえり)み給え。
またこのちくたくの終らん後(のち)、尊き御子イエズスを我らに示し給え。
寛容(かんよう)、仁慈(じんじ)、甘美(かんび)にまします童貞マリア。 」
            教皇レオ13世(在位1878~1903年)が定められたミサ聖祭の後に唱える祈りです。 

「天主の聖母、我らのために祈り給え。キリストの御約束に我らをかなわしめ給え。」

 


帰天する者がための短い祈願
「ああ聖ヨゼフ、御子イエズスの御養父(ごようふ)及び祝せられた童貞マリアのまことの浄配よ、我らのために、かつこの日(もしくは今晩)死に臨(のぞ)める者のために祈り給え。アーメン。」

 
死者のための祈り
 ああ主よ、永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光を彼らの上に照らし給え。
彼らの安らかにいこわんことを。アーメン。

信仰のうちにこの世を去りたる全ての霊魂が、天主の御あわれみによりて安らかにいこわんことを。アーメン。

 
死者のための絶えざる御助けの聖母への祈り
「絶えざる御助けの聖母よ、この世を去って主の御許(みもと)に召(め)された、わが祖父母、両親、兄弟、親戚、恩人、友人のためにお祈り下さい。主の御許に召された者の上に、主のあわれみが与えられますように。
私達の臨終の時にも、主においてこの世を去る事ができますように、私を思いだし、私のためにお祈り下さい。 アーメン。」

 

教皇フランシスコ、2019年1月16日一般謁見演説
「主の祈り」に関する連続講話 抜粋

5.「アッバ、父よ」
・・・「父である神」と呼ぶよりも、「アッバ」と唱えるほうが、ずっと親しみがこもっており、心が動かされます。だからこそ、この「アッバ」というアラム語を、「パパ」「お父さん」と訳す人がいるのです。「わたしたちの父よ」と言う代わりに、「パパ」「お父さん」と唱えるのです。もちろん引き続き「わたしたちの父よ」と唱えるのですが、わたしたちは、父親のことを「パパ」「お父さん」と呼ぶ子どものように神とかかわるために、心の中では、「お父さん」と唱えるよう招かれています。これらの表現は愛情や温かみを帯びており、子どもの頃のことを思い出させます。父の限りない優しさに完全に包まれた子どものイメージです。ですから皆さん、正しく祈るためには、子どもの心を持つべきです。自分のことは自分でできるという心で祈るのではありません。それでは正しく祈ることはできません。お父さん、パパの腕に抱かれた子どものように祈るのです。

*神が一番呼んでもらいたい名は、「アッバ、父よ」(マルコ14章36節参照)なのです。それは子供が「父ちゃん」と呼ぶのと同じことです。呼吸に合わせながら、イエスと同じように「アッバ、父よ」と呼ばせていただく時こそ、神がその親しさを感じさせてくださるでしょう。井上洋治『わが師イエスの生涯』


マテオによる聖福音書 6章5

5 また祈る時にも、偽善者のようにふるまってはならない。彼らは人に見せようとして、好んで会堂や街角に立って祈っている。まことに、私は言う、その人たちはすでに報いを得たのである。

6 あなたが祈る時には、自分の部屋に入り、戸を閉め、隠れておいでになるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた事をご覧になるあなたの父が、報いてくださるであろう。

7 また、祈りの時に、異邦人のように、無駄ごとを言ってはならない。異邦人は、言葉さえ多ければ、聞きいれてもらえると考えている。

8 彼らのまねをしてはならない。あなたたちの父は、あなたたちが必要なものを、願わぬ先に知っておられる。

9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、

「天にましますわれらの父よ、願わくは御名が聖とせられますように。

10 御国が来ますように。御旨が天に行われると同じく、地にも行われますように。

11 私たちの日ごとのパンを、今日もお与えください。

12 私たちが、負(おい)めをもつ人をゆるすように、私たちの負めをもゆるし下さい。

13 試(こころ)みにあわせず、悪魔からお救いください。」
       *(主祷文(しゅとうぶん))は上記に記載しています。