進化論の嘘

御受難のマリア・アントニアに与えられた天からのメッセージ
あるエクソシズムの時に対決した悪魔(堕天使)の告白 【 5 】
2017年3月2日 AM12:14

 【 進化論の嘘 】

悪魔(堕天使)の告白。
「人間が、もし動物を同じく、猿からの進化のなせる業で、今に至っているとしたら、わざわざ死んだ後に、霊魂を集めるようなところはいらない。死んでしまったら、霊魂も消えてなくなるから、聖書の話はおとぎ話であるということが本当であると、今はそう信じている人が多くなっているし、教会でも、本気でそのように教えている。俺たちにとっては拍手かっさいなことが、当然のように話されて、反論をすると、反論をした方が馬鹿者、気違い扱いにされる。

人間が、さるから進化したものだったら、すべてつじつまが合わなくなる。生物学者たちは、必至に、さるから人間になった瞬間、今の人間という状態になった区切りの部分をさがしてきたが、見つかるわけがない。区切りの瞬間の証拠が見つからないので、その時に、何か大きな自然の動きがあったからと仮説を出して、言い張って、はっきりしたことは、わかっていないことにしている。もともとが違うのだから、見つかるわけがない。それでも探し続けている。馬鹿なことだ。
まだ、俺たちはましな方だと言っておく。縛りつけられて、おりの中から話している。まだ、素直に話しているが、本当は言いたくなかった。」

【 人間の進化、サルから人間へ。こんな素晴らしい人間がサルから進化?、想像でも無理無理、考えられない。今は当たり前のように、猫も杓子も子供の読む本には事実かのように伝えられている。生物学者らは正直になれないのだろうか、現在の生物学では解明できませんと、神ちゃまでなければできない聖なる業だと。なんと、教会でさえ、サルから人間の進化を盾に聖書の話をおとぎ話として取り扱い、聖?職者もそれを基準にして神ちゃまを否定する道具として扱っている。こんな嘘を教える既存の教会には行かないように。よく、よく、見なさい。
おかしい、何か変とわかる。これが宗教かと、人を導く教えかと、神ちゃまを讃える荘厳さもないのに。偽の清貧を掲げてみすぼらしいものにしている、聖?職者は神ちゃまのうつしでなければならないのに、神ちゃまとの親しさでもあらわしているのか。正しくミサをし、正しく子羊たちを導く、説教をし、命がけで正義のために戦えば、神ちゃまの寛大さ、おおらかさ、憐れみ、温かさは伝わる。子供だましの幼稚な事をすれば、神ちゃまを信じる人たちは、よっぽど、日本の宗教の方が神社仏閣も荘厳で、ご祈祷もありがたみがあると、御朱印帳というものが流行、教会よりも観光地であっても神社仏閣を訪れる人が増えている、外国からも。キリスト教会はクリスマスの時だけ、おまけにパーティーで酔った人が訪れたり、デートスポットになり下がっている。日本で特にキリスト教信者が増えないのはキリスト教は何かおかしいと気づいているからだ。
今のキリスト教はキリストを信じず、神ちゃまを捨て、悪魔を讃えている。教会も聖?職者も神ちゃまであるイエズス・キリストを信じていない。

だからこそ、既存の教会(カトリックプロテスタント、オーソドックス等、全部)には、絶対に行かないように、悪魔を賛美する者、偽の教皇、フランシスコ教皇、そして獣に従う、これから従う、偽の預言や、言葉を信じる者の教会には行かないように。司祭と呼ばれている者よ、司祭を目指したときの志を思い出しなさい、何のために、司祭になったのか。ロード・マイトレーヤは反キリスト、ルシファーそのものの、仲間になれば、司祭の位が上がり、司教や高位聖職者にもなれる。名誉が欲しいのか。死んで神ちゃまの前に立たなければ気づかないのか。今のままでは悪魔との契約があるから、地獄に真っ逆さまだぞ。地獄に行かなければわからないか。回心のチャンスは今だ、逃すな。これが現実。名前だけのうわべだけの聖、中身の無い教会に従うな。迷える子羊を自身共々だまし地獄に導くな。今の偽教皇フランシスコではなく、先代のヨハネ・パウロ2世教皇ベネディクト16世教皇、リトル・ペブルを現役教皇リトル・ペトロ・アブラハム?世を信じ、神ちゃまに従え。隠れて神ちゃまを信じる聖職者よ、勇気を出せ、聖霊のたまものをいただいているのならば、逃げるな戦え。立派に戦った殉教者らを特に日本の殉教者に倣え。 教会は大きな間違いをしている、いっさい従順しないように、悪魔を讃えている教会は教会として成り立つわけがない。 】

*【・・・】はロンジン・マリーの説明